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江戸時代の省エネ旅行

(2017.4.28)

みなさんは1年に何回くらい旅行に行っているでしょうか?
近年、日本国内の世界遺産登録数の増加もあり、国内旅行をする人が増えております。
環境庁の調査によれば、平成27年度の日本人国内延べ旅行者数(日帰り旅行を含む)は約6億人にも上ります。この数値は日本人1人あたり年間5回近くの国内旅行に行っている計算になります。
思ったより多いと感じる人が多いのではないでしょうか?
簡単に行ける国内旅行がちょっとしたブームになっているようです。ちなみに旅行1回あたりの費用は33,750円となっています。
過去、江戸時代にも旅行ブームがあり、上流階級から庶民まで、多くの人が旅行に出かけていました。
今回は、江戸時代の旅行についてご紹介します。みなさんの旅行と比較してみてください。

 

江戸時代の旅行

江戸時代には武士や庶民の区別なく、自由な移動は厳しく制限されていました。しかし、社寺参詣を理由とした移動については、かなり寛容でした。
江戸時代も中期から後期になると、太平の世が続いたこともあって、農業や経済が発展しました。庶民にも経済的余裕が生まれ、人々はお伊勢参りや社寺参詣を名目とした物見遊山の旅に出かけるようになりました。
特にお伊勢参りは、60年に1度「お蔭参り」と呼ばれる集団参拝があり、一説には400万人を超える人が伊勢に押し寄せたとも言われています。
お伊勢参りに加えて、善光寺参り、日光東照宮参り、四国香川県の金毘羅参りや名古屋・大阪(当時の表記は大坂)見物などに足を伸ばすケースも多かったようです。
また、比較的近場では、大山詣や成田山新勝寺詣、金沢八景、鎌倉などが人気でした。

お伊勢参り

 

江戸時代の旅姿と旅道具

さて、当時の旅はどのようなものだったでしょうか?
徒歩が基本ですので、1日におよそ10時間歩き、距離にして10里(約40km)程度進んだと言われています。江戸・日本橋から伊勢神宮に行く場合だと、およそ10日~15日程度だったそうです。大変な長旅です。
ここでちょっと思い浮かべてください。
みなさんが旅行に行くときに持っていく荷物はどのくらいでしょうか?
それらを持って、1日10時間、40kmの距離、それを15日間という長旅をこなすことができるでしょうか?
楽しい旅も苦痛になりそうです。
では、江戸時代の人たちはどのようにして旅をしていたのでしょう。
答えは省エネ旅行です。
さまざまな工夫を凝らして、旅道具は可能な限り少なくしていました。
江戸時代の旅の心得を記した『旅行用心集』にも、「旅に持っていくものは、懐中物の他は、できるだけ少なくすること。品数が多いと忘れ物の原因となる」と記載されています。
実際に持っていったものは、往来手形・関所手形、着替え、手拭き、ちり紙、薬、提灯、弁当箱、矢立(やたて、筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具)、風呂敷、化粧道具、道中記等で、これらを振分荷物と呼ばれる四角い竹かご2つに入れていました。
現在の旅行と比較すると、荷物の量は1/5以下だったと予想されます。
歩き易さを確保するため、振分荷物は肩にかけて、両手を空けるようにしていました。
ちょうど下の絵のようになります。きっと時代劇等で見覚えがある方も多いのではないでしょうか。
着物などは表裏が使えるものとし、着替えも少なくしていました。
竹かご2つで収まるなんて、驚くほど少ないですね。
さらに江戸時代に既にリバーシブルが存在していたことにも驚きです。何とか荷物を少なくするために知恵を出していたことがうかがえます。

町人の旅姿

 

なお、飛脚の場合は江戸・京都間を3~4日で駆け抜けたと言われており、郵便物を長い竿に固定し、肩にかけて運びましたが、その他の荷物はほぼ持っていませんでした。
走ることを優先に考えて、上半身裸など、衣類さえ省いていました。

 

飛脚の旅姿

 

一方、武士の中でも身分が高くなると、馬やかごに乗り、武具や陣幕などを携帯しておりました。
さらには風呂道具や料理道具などの生活用品、加えて料理人なども同行させていました。
荷物を運ぶ人だけでもたくさんおり、まさに大名行列でした。
身軽さを重視した庶民とはかけ離れています。この辺は当時も現在も同じでしょうか。

 

大名の旅姿

 

このようにして、江戸時代の人々は、極力荷物を少なくすることで省エネを図り、徒歩での長い旅行を可能としていました。
現代でも旅行慣れしている人は、すべての持ち物が必要で、無駄がありませんが、それでも江戸時代の人々には敵いません。
気軽にモノが手に入る時代に生きる私たちは取捨選択が苦手になっているように感じます。
江戸時代の旅行を参考にして、少ない荷物で身軽な旅行を試してみてはいかがでしょうか?
また、江戸の町はエコ都市としても知られており、特にリサイクルが盛んでした。
現代の私たちも参考にすべきところがたくさんありますね。

 

取材協力・出典:東海道かわさき宿交流館

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