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エジソンと日本の意外な関係

(2016.12.13)

発明王として知られるエジソンは、様々な発明を生み出し、後世に名を残しています。
エジソンが誕生した1847年、日本は江戸時代末期。ペリーが来航し、鎖国から開かれた日本へと変化していく時代でした。
エジソンが日本に訪問したという記録はありません。が、実はエジソンと日本とは深いつながりがありました。

 

発明王の求めた日本の植物


電球の発明者はエジソンだと言われていますが、実際、白熱電球を発明したのはジョゼフ・スワンという人物でした。
エジソンが行ったのは、スワンの発明した白熱電球を「改良」して「実用に耐えうる品」に改良した事だったのです。
スワンが発明した白熱電球のフィラメントは、紙を炭化させたもの。そのため非常に耐久時間が短く、発光時間が1分も持たないという唯一にして最大の欠点がありました。エジソンはその欠点を克服するべく、様々な素材を使い、実験を繰り返しました。
その中で、偶然手にした中国の竹を使った際に200時間という記録を打ち出しました。
竹という素材に目を付けたエジソンは、世界中の竹を集めて実験を行い、日本の首相や外務大臣にまで面会を求めます。そしてたどり着いたのが、京都にある八幡男山の岩清水八幡宮の境内に生えていた真竹でした。
日本の竹は、どの竹よりも長い1200時間を記録したのです。
こうして、白熱電球というもの自体を発明したスワン、それを改良して実用化させたエジソンの2人は、アメリカの家庭をはじめとして、明るい夜を世界に提供しました。

日本人青年との深い信頼関係

エジソンが日本を訪れた記録はありませんが、白熱電球の一件から、遠く離れた日本文化に関心を持っていました。
エジソンのウェストオレンジ研究所には、エジソンの助手として働く日本人青年 岡部芳郎の記録が残っています。
岡部はもともとイギリス商船に機関士として乗船していましたが、遠洋航海で体調を崩し、船が寄港したニューヨークにとどまる事になったのです。技術を持つ彼は電気技師の助手として6年間エジソンの元、蓄音機の改良に携わっていたのです。
彼はエジソンに深く信頼され、様々なエピソードを残しています。予備役少尉でもあった岡部は、エジソンを襲った暴漢を柔道で投げ飛ばして守ったり、キャンプなどに随行して世話をしたりと非常に気に入られていたと言われています。

公私にわたりエジソンを支えた日本人として岡部は名を残しています。

 

エジソンがいなかったら、NECは存在しない!?

岡部以外にも、エジソンの元で働いた日本人や、交流をもった日本人は何人も存在しました。
その中の一人として、NECの創設者 岩垂邦彦が挙げられます。
岩垂は、エジソン式蓄音機の代理店から紹介状を貰い単身渡米。エジソンの研究所で働き始めました。
エジソンは岩垂の勤勉さを高く評価し、岩垂も多いにエジソンの元で学びました。
学んだ電気技術を元に、岩垂は合弁会社として日本電気株式会社、現在のNECを設立しました。

エジソンは、技術を深く学ぶ日本人に
「外国から輸入すれば良いと考えていてはいけない。自分の国で作ろう、という気概を持たなければ国が滅ぶ」
と伝えていました。
そのエジソンの言葉に感銘を受けて日本に帰国し、電気技師として功績を残した沢井廉、日本で白熱電球を製造した藤岡市助など、エジソンに学びそれを活かした日本人たちは、電化製品に強い現在の日本の礎を作りました。

エジソンは親日家として知られ、技術者だけでなく、真珠養殖の御木本幸一や日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一、日本で白熱電球を製造し、日本初の電力会社「東京電燈」の発起人の一人でもあった藤岡市助などと交流を持ち、日本に訪問しなかったにも関わらず、日本に多大な影響を与えています。
後世に功績を残した多くの人々とエジソンは互いに刺激しあいながら現代の礎を築いてきたのです。
次回は日本初の電力会社「東京電燈」について紹介します。



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